夏の聖書

~聖書を読むのは今が旬~

夏の聖書

バイブル・スタディー

数年前に「バイブル・スタディー」というものに参加したことがあります。
以前、ニコラス・ケイジ主演の「レフト・ビハインド」という映画を観たことがあり、映画に出てくる「バイフルスタディー」なるものに何となく興味を持ち記憶に残っていたので、たまたま近所での無料講座ということもあり軽い気持ちで参加してみることにしました。
バイブル・スタディーとは文字どおり聖書を学ぶ講座のことで、海外ではそこら中の教会で多く開催されているようです。
私は地域の交流センターで参加しましたが、そこでは主に20~30代の女性が多く参加していました。

最近結婚したばかりという20代半ばの若い女性も何人かいて、きっと今が人生で一番幸せな時期なんだろうな~と思って聞いてみると、実はそうでもないらしく、いつも何か満たされないものを感じながら生活していると言っていました。
手痛い失恋を経験することも一度もなく、学生の頃からの恋愛を成就させて結婚し、経済的にも何不自由ない生活を送っていて、まだまだ若くて綺麗で、将来色んなことができる時間もいっぱいあるのに…なぜ!? 
そういえば、以前私が通っていた心理カウンセラー養成学校の校長さんも同じようなことを言っていました。
その方はもう50歳位でしたが、愛する奥さんとお子さん二人にも恵まれ、仕事でもかなり成功して周りに尊敬され、経済的にも豊かで大きな家に住み、外見的にもかなりおしゃれでカッコよく、友人知人にも慕われている…そんな方がある時ポツリと漏らしていました。「家族がすぐそばにいる時でも孤独を感じることがある」と。
人生で手に入れていないものが無いような人でも、自分のメンタルなんて自由自在にメンテナンスできそうな心理カウンセラーでさえも、心の片隅にはいつも孤独を抱えて生きているんだ…。

バイブルスタディー講座では、私たち人間の「罪」がテーマになることも多かったのですが、最初私は「罪」と言われても何となくピンときませんでした。
それどころか「罪を悔い改める」などのワードを聞いているうちに、何だがちょっと憤慨した気分になりました。
「生まれてこのかた、一般的な社会ルールはきちんと守ってきたし、警察に捕まるような犯罪を犯したことなんて一度もない。色んな我慢もしながら、真面目につつましく生きてきた私に向かって罪、罪っていったいもう…失敬だな!」と。

聖書が言っている罪というのは、私たちを創造してくださった方のことを一方的にいらないといって無視して、遠ざかって生きること。
その方が人生に欠けているとパズルの最後の1ピースが埋まらず、いつまでも心からの満足を感じることがない。
でももし、その方を自分に招き入れて、その方の沢山の愛情を味わうことができる人生は、たとえ独りぼっちでも寂しさを感じない。
そのような人の性質は、創造主であるその方がつくったもの。

<聖書こばなし📚>
主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。
あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。
あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をこどごとく知っておられます。---
私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。
私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。---
それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。---
私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。
あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。
私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。
詩編139.1-16新改訳