夏の聖書

~聖書を読むのは今が旬~

夏の聖書

祈りによって対話する

特に神様に信仰心がある人じゃなくても、これまで生きてきて一度ぐらいはあるのではないでしょうか、
「〇〇できますように!」「〇〇がうまくいきますように!」と心で願ったこと。

「出来るだけのことは自分でやった。だからこの先は誰か何とか助けてくれ~!」と、自分の心の中で叫ぶことも立派な「お祈り」です。

祈りは魂の呼吸である、と言われます。
謙遜な気持ちで祈れば特にルールはありませんので、どんな祈りでも神様に喜ばれます。

ただし、すぐ願った通りに叶えらる場合もあれば、神様目線でその人の人生をトータルで見て、5年後10年後など最適な時期に、または別の形で叶えられることもあります。

私が今住んでいる家を探していた時の事ですが、他県からの引っ越しだったため土地感もなく、また引っ越した後に仕事も探す予定だったので、どのエリアに住むのが自分にとって最適なのか検討もつかず…このようにお祈りしてみました。

「私にとって最高最善の物件が見つかるように助けてください!」(「最高最善」というフレーズはその時読んでた引き寄せ系スピ本を参考にしました😅)
そして、平凡な物件でしたが何とか見つかり、新しい生活を無事スタートすることが出来ました。

それから月日が流れ、引っ越してら5年ほど経ったある日、急に資格試験のために特別なあるスクールに通わなければならなくなったのですが、その学校の場所が家から徒歩5分の所で、家から近いので仕事が終わってから急いで駆け付けると何とか授業の始めに間に合うことが出来るのです。
その近さでなければ仕事と両立しながら毎日最後まで通いきれなかったかもしれません。

その時自分には分からなかったけど、神様は5年後の私の状況も見通して考慮して、最善の場所に引っ越せるように導いてくれたんだな~としみじみ感じました。

神様は私たちと同じように人格をもっている方なので、ハッピーな心躍る嬉しい気持ちや、悲しい気持ち、ジェラシーの気持ちなどもお持ちです。
なので祈りによる神様との交わりを重ねていくと、神様がご自分のお気持ちを私たちの感情を通して伝えてくれる…という瞬間にも出会えるようになります✨

<聖書こばなし📚>
パンをねだる子どもに、石ころを与える父親がいるでしょうか。---罪深いあなたがたであっても、自分の子どもには良いものを与えたいと思うのです。それならなおのこと、あなたがたの天の父が、求める者に良いものを下さらないはずがあるでしょうか。
マタイ7.9-11(リビングバイブル)